方針の説明

翌日、母に、最初に助けて下さった方の連絡先を教える。父は個室に空きがあって、その日に移動することができた。俺は今日は、仕事をするつもりだった。が、練馬光が丘病院から、病状や今後の治療の方針について説明したいので、家族も来てほしいと母に連絡があったという。できれば一緒に聞いてくれという。
まあ、普段、何もしていない弱みもあって、こんな時くらいはしょうがない。仕事を中断。練馬光が丘病院に行く。今日は自分で車を運転していくことにする。
父は個室で、立って歩いている。おいぃ! 「もうなんともない、元気なんだ」
そんなわけないだろ。何ともない奴が、泡を吹いて昏倒なんかしない。
かなり待たされたが、医師の説明がはじまった。
「CTなどの結果だが、外傷による明確な出血などは認められない」「内臓的に明らかな原因もない」「経過観察をしたい」「本人さんが非常に強く退院を希望していることもあり、明日退院可能」「2週間後、より詳細な脳の検査を行いたい。」
父は喜んだし、母も俺も驚いた。ちょっと待ってくれ。
素朴に疑問がある。その2週間の間、再度昏倒、意識を失う恐れはないのか?
父は救急搬送された際、内科に入院することになっていた。高血圧だし、糖尿病だし、転落してどこか強打して内臓出血なども心配されたのだろう。今にして思えば、どうも最初の「作業中に転落」という救急への電話が、イロイロ響いているようだ。「作業中に転落」ということを前提にした診断としては見当違いではないだろう。いや、そうじゃなくて、梯子の上で泡をふいて意識を失ったんですぜ。それ原因不明のままで退院は、まずいんでないの?
「そういうことでしたら、脳神経の専門の先生からの説明を」と説明の医師が変わる。
専門家は専門用語で、説明してくれる。俺は何とか話についていったが、たぶん、父と母はついていけてないんだろうな。
「リスクとか様々な可能性とか断言できない、軽率に判断するべきことでもないということは、よくわかりました。とにかく、わからない ということなんですね。わからないから治療の方針もないから、退院して経過を見るのだ、と」
最初の内科の医師がフォローする。
「経過観察というのも、治療の大事なステップのひとつとお考えください。特に患者さん本人が退院を強く希望されていますので、余計なストレスになるのも好ましくはないでしょう」
「最後に、素朴に疑問があります。どうして、詳細な検査を2週間後にするんでしょう? 今やってはいけない検査なんですか?」
「通常の予約の空きの最短がその日だからです」
「あ、そういうことでしたか。それなら納得できます」
「でも、どうしてもということでしたら・・・・。ちょっと待ってください。」
医師はパソコンを触って
「じゃあ、検査をやりましょう。何もなければ、予定通り退院ということで。」
念のためではあるのかもしれない。だができることはやってもらいたい。
最近は、練馬光が丘病院に限らないことだろうと思う。患者や家族の医師、治療や検査などについて、望まないことはやらない、望むことは、極力それに沿うというのが、昨今なのかもしれない。
自分が何を望むのか、説明を理解した上で表明することが、重要なんだろと思う。
父と母と個室の病室に戻る。俺はその日は、それで帰った。いらぬツッコミだったのかもしれない。これで退院か。予断はできないんだろうけども、まず今夜、重篤になるなんてことはないだろう。

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ここまで読んで下さったなら、
もしも、ここまで読んで下さったなら、何はともあれお礼を申しあげます。 一応、今回のテーマは、練馬光が丘病院に救急搬送された数日のことの記録なので、このへんで終わっておきます。十分長くなってしまったしw 父の退院は50日後でした。月に2回の通院(検査)で今はけっこう元気でやってます。 とりあえず、ここまで読んで下さったなら、+1をしてくれると嬉しです。 <g:plusone si